2015年9月18日金曜日

将来の夢

中学入試のとき、面接で医者になりたいと答えた。
今でも、頭の片隅でそう思っている。

なんで医者になりたいと答えたのかは覚えていないし、高1のときの進路希望はあっさり文系で出してたし、そもそもこんなダンスばっかりやっててそういうのもなんだけど、
結局今の仕事の多くは人の身体を見る(診るとまではいかないけれど)もので、身体の知識が欲しくて素人ながら医学の調べものをすることもある。


インストラクターの仕事が面白いのは、自分の身体の中で起こっていることを他人の身体でどう引き起こすか。

芸術家のWSなら感覚的な話でもことが運んでいくのかもしれないけれど、例えばごく普通の主婦に身体で起こることを理解してもらうためには結局ある程度身体の知識が要る。
何より種々様々な身体を実際相手にする現場では自分の感覚はまだ頼りないし、というか目指すところが違うので当たり前。
表現者を作ってるわけでなく、肩こりとか腰痛を治したいんだからね。痩せたいとか。笑
でも、ひっくるめて相手の身体を作っていくということに関われるのはすごく面白い。
そしてそのためには、相手に伝えるための作法がある。


最近診察で出会ったお医者さんは毎日ものすごい患者さんの数を診る所謂名医と呼ばれる人のようで、ものすごくフランクに忙しい自慢をしてくる気さくなおじさん。
忙しいと言いながら、問診に時間を掛けて色々話をしてくれるし、知りたいことは訊けばなんでも答えてくれる。
「僕たち医者は基本的に科学者だからさ、病気そのものに興味があるんだよね」ってセリフが妙に自分のツボにはまった覚えがある。

自身の研究や技術には当然自信を持っている。でも医者という仕事において患者さんと向き合うとき、あくまでも病を治してゆくのは患者自身だということを尊重しているように感じた。
だからこそ、私がいなきゃダメでしょ?でなく、そのお医者さんに能動的に何か自分の一部を預ける感覚のようなものを引き出させる。


その姿勢は自分の仕事、インストラクターでもダンス作品作る上でも同じことだなぁと今日稽古場でぐるぐる歩きながら考えた。

内田光子っていう私の大好きなピアニストがいるんだけど、彼女の何が凄いって、自身の演奏で2000人の聴衆の「聴きたい」を引き起こす力。あの衝撃、今でも忘れられない。

話がどんどんずれて行ってしまうけど、
自分もそういう仕事ができる人間になりたいと思う。
医療器具でもピアノでもなく自分の身体という道具を使い、ダンスでもインストラクターでも。


少し先だけど、公演を打たせてもらえることになりそう。

いつものように狭い稽古場の中をぐるぐるぐるぐる歩きながら、歩くという運動をひたすら感じ続ける。
まっすぐ歩くために意識する筋肉の伸び縮み、姿勢を維持するためのポイント、呼吸、床の感触、重力の移動と揺れを捉え続け、さてここからダンスになるって一体どういう感じ・形になるのかしら?と考えながら。

…目の前にいる人が、風を感じ、音を聴き、光を見、想像を抱く。
それらを起こせる身体でありたいなぁと、ふと思った。