2019年9月11日水曜日

夏の終わりと秋の始まり、残暑

9月になった。

無事に9月が来た。

頭を悩ませていた論文を書き終わった。
長かった。

文章を考えることは嫌いではないけれど、
そんな程度で論文を書こうと思うのはなかなか大変で、正直「やめようかな」と何度も思った。

でも今書き記すことで、いつか、何かの役に立つんじゃないかと、願っている。





それにしても、こんなに、自分がヨガを面白く思うようになるとは想像してなかった。
教えるという仕事も。

ダンスをやってる身からすれば、ヨガのインストラクターって逃げ道のように思われることもあると思うし、実際自分もそう思っていた。

始めた頃は、自分の考えていることや、やっていることの理解者を増やしたいとか、自分が踊る時のお客さんが増えたらいいなとか、そんなつもりで考えていた。
何より生活を立てなければならないという理由も。


今ではそれ以上に、ヨガやダンスや運動を教えることの面白さも感じている。

特にヨガは、人の心と身体に介入する技術の面白さがある。
それは、自分が踊ってみせることと、重なる部分もあるし、違う種類の関わり方でもあると思う。





論文書き終わって行った整体の先生に、
催眠術の勉強してみたら面白いかも、と提案してもらって、本を買ってみた。

対人での施術者のあり方とか、言葉の誘導の仕方とか、集中力の持続のさせ方とか、かなり面白い。

思い返せば、日常にも催眠術的なコミュニケーションはありふれている。
それを意図的に、目的に沿って使用するのが催眠術なのかな、とか。

催眠術は、無い物を起こすわけではなく、潜在意識を引き出す。
その点では、思い込みでがんじがらめになった身体をほぐすヨガや運動の指導にはとても役に立つ。


自分のレッスンの時の言葉遣いにも、ここ最近気を配ってやってみている。

身体の多様性を広く肯定する言い回し、つまり、
ポーズが完璧にできなくても、個々人がちょうど良い形を見つけられるように促す言い回しと、自分の狙いに誘い込む言い回しのギャップは、なかなかスリルがある。

シャバーサナ(ヨガの最後のリラックスタイム)はかなり精度が上がったとは思う。





毎月やっている、大人初心者向けたバレエの振付。
今月は、シベリウスのヴァイオリン協奏曲の編曲に振付をしてみた。

作りながら、私がバレエを教える意味って何だろうなぁとか、考えた。考える。いや、毎月思う。


正直、私はクラシックバレエをプロでやっていたわけではないし、教えるには分不相応かもしれない。
正しいことを教えられているかどうか、不安なこともちょっとある。

でも、正しいことって何だろうと考えると、ある程度の形式はあっても、絶対はない。


だとしたら…もっと根っこの、衝動的な部分だったら、どうだろうか。

私は踊ることはずっとしてきたし、踊っていて幸せだと感じる瞬間を何度も体験してきた。

それならば、私が教えられるのは、その、踊っていて幸せだと感じられる瞬間のことなんじゃないのかなーとか、ぼんやりと思う。

音楽と自分の動きや、人や場所の作る空間と自分の動きがバチっとハマった瞬間に、鳥肌の立つゾクゾクするあの感じ。

陶酔とか、溶けるとか、自分の身体を超えていく感じ。

あれは、踊っていないと感じられない瞬間。


スキルや厳格な形式にはめ込んだ身体の快感もあるし、それはそれで追い求める形がある。
特にバレエには。

その看板は、小さいながら掲げさせてもらうとしても、私は何を教えて、何を共有したいのか?

それが実現できたら、ジャンルや形式を超えて、オリジナルになれるのかなと思う。




今月の28日に、掛川で踊らせてもらえる機会がある。

ゆるアコの金井さんとさあやちゃんと一緒に。
ギターと、リコーダーと、鍵盤ハーモニカと、歌の生演奏と共に。
なんという贅沢。


2人の作る空気感というか、イメージや即興性はとても柔軟で、聴く人の心を丁寧に掴む。
音楽に弾かされているわけではなく、音楽という方法で、自分たちを表現する技術がある。

その証拠に、こんなにも踊りやすいのかと思うし、どんどんイメージが膨らんできて楽しい。


音楽と、見る人の、間を繋ぐ存在になれればと思う。
2人の音楽を聴いて、どうしようもなく身体が動いてしまう衝動を、そのまま動きにしたい。

私も丁寧に、踊れるようになりたい。


追伸、だいぶ地元だからさ、
もし機会があえば、いろんな人に見てもらえたら嬉しい。
詳細はまたお知らせするつもりです。


しばらく書き溜めていたものを繋げたら長くなってしまった。
お付き合いありがとうございます。

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