2019年1月16日水曜日
シドニー1〜2日目 写真とシドニーとフェスティバル作品2本の感想など
シドニーへ初めて来たのは中3の修学旅行のとき。
ホームステイをした。
ホストファミリーがクリスチャンで教会に何回も連れていかれ、ブドウジュースとクルトンを片手にゴスペルを聴いたのは衝撃だった。
ほかの子たちはやれプールだのショッピングモールだの連れて行ってもらってるのに、教会漬け。
今だったら貴重な体験ができたと思えるだろうけど、中3の時には分からなかったな。
毎朝出されるオートミールの味も然り。
そんなオーストラリアの思い出。
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飛行機の中でそんな話をして仲良くなったおっちゃんが「シドニーは暑いから覚悟しろよ〜」と言ってたけれど、正直そこまで暑くない。
風が強くて肌寒い。これは暑いうちに入らんよ。
それでも肌の80%は露出してる強者たち。
私も浮かれ気分で限りなく薄着のものしか持っておらず、上着も持ってない。
仕方なく洋服屋さんで上着を探すものの、カーディガン的なものが全く見当たらない。
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到着した夜は、ダンスを観た。
「Biladurang」という作品。
男性ダンサーのソロ。
「自分は何者なのか?」ということをテーマにホテルの一室で踊る。
定刻にホテルの部屋の前に20人ほどが集合し、スタッフから公演の説明を受ける。
その後、観客の1人が部屋をノックするところから始まる。
ダンサーと握手をし、黒いガウンを渡され、部屋の中に無造作に並べられた椅子にかけるよう言われる。
その後シャンパンを開けてみんなで乾杯すると、ダンサーが話し始める。
徐々に彼の言葉はダンスに変わったり、また言葉に戻ったりしながら進んでいく。
バスルームでの彼の様子をモニターで見たり部屋の中を移動させられたりペアで踊らされたり、
終盤には観客の数人にハンドマッサージをしながら、自分のルーツはなんなのか聞いたり。
そしてそれをみんなで共有する。
なんとも不思議な時間だった。
Biladurang TEASER
ハンドマッサージを受けていた人たちの生い立ちが揃って結構刺激的で、仕込まれたかのように紆余曲折がすごい。
限られた空間とはいえ、他の人たちが見ている中で赤裸々に、そしてすらすらと自分のことを話す姿に驚いた。
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ここには「自分は何者なのか」ということを探している人たちが多いのかな、という印象。
2日目に行った現代美術館にて、
パフォーマンスアート(なのか?折り紙つきの舟をひたすら折るという参加型のもの)を見たときのこと。
説明してくれたアジア系の女の子はベトナムルーツのオーストラリア人らしい。
私が日本人だと分かると、たどたどしい日本語でも話してくれた。
なぜ日本語が分かるのか訊いたら、
大学で日本語を少し勉強したと。
なんで日本語なのかと訊いたら、日本の伝統文化に興味があったらしい。
昔のものがずっと続くことがどういうものなのか興味があったと。
日本の文化は長く続いているけれど狭いし多様性が無いと言っても、そんなことはないよと。
優しそうな目が少し悲しげに見えた気がしなくもない。
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2日目の夜は「The Chat」という、ジャンルは何になるんだろうか、
実験的なパフォーマンスを観た。
出演者は作者の2人と懲役刑を受けたのち更生施設にいる人たち。
そのうちの1人、おじいさんの元囚人。その人が更生しているか否かを観客がジャッジするということらしい。
この囚人のおじいさんが厄介で、オーストラリア訛りな上にもごもご喋るので悔しいことに何を言ってるか全く理解出来なかった。
この作品のタイトル、チャット、そのおじいさんと作者のトークが1時間くらいあったものだから記憶が飛びかけてる。
驚いたのはラスト。
さて話が終わったところで、ではこの人は更生しているか、今からみんなで話し合いましょうと。
すると全員が口々に隣近所の人たちと議論を始める。
近くのおばさまが私にも質問してくれた、あなたはどう思う?と。
最終的に選ばれた数人が多数決でおじいさんへのジャッジをした。
更生している、という判断になった。
これ、自分が普段いる環境でこんな演出をすることをまさか思いつくだろうか?
観客がこんなノリノリでチャットしてくれるって想像できるだろうか?
観客参加型作品に本当に観客が参加している。
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1日目のダンスを観たあとにエレベーター前で待ってたら、一緒に観ていたおばあさんが当たり前のように話しかけて来た。
どうだった?と。
とても興味深い作品で楽しめた、自分もダンサーでと話したら、ダンサーに挨拶して写真を撮りましょう!と。
感想をダンサー本人に話す機会をもらって、写真を撮ってもらった。
たどたどしい英語でなんとか感想を言ったけれど、帰り道、ああ言い方が足りなかったと反省した。
言葉とダンスがミックスしてて面白かったと言ったけれど、あなたの身体の動きから言いたいことが伝わって来た気がしたと言うべきだった。
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フライトの前成田の本屋で、
受けれてて何か景気付けにと珍しく自己啓発の様な本を買った。
元陸上選手の為末さんが選手時代のメンタルについて書いた本。
自分の思い込みで判断するな、限界を自分で決めるなと。
“できない”ことがあったとしても、それは”慣れてない”だけ。
というわけで、調子に乗っていろんな人に話しかけている。
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同じ英語圏でも、シドニーはニューヨークほどギラギラしていない。
ニューヨークでカフェで呪文のように何度も言われた“Here? To go?”
理解すればなんでもない言葉だけど、怖かったなぁ。
シドニーは夏季休暇中なせいか街も人もいい意味でのんびりしてて、悪い意味で上昇志向がなさそうな。
現代美術館で若いアーティストの作品展を見たけれど、なんというか、何かが足りない気がした。
アボリジニの作者を珍重していた。
ニューヨークで感じた、MOMAのドヤ感、高さを競うビル、できないやつは切り捨てる感。
一方、セントラルパークよりひとまわり小さい街中の四角い公園の中でぼーっとして、英語ができない私にフレンドリーなシドニーの人たち。
飛行機で一緒になったおっちゃんは、
イギリスよりアメリカより、やっぱりオーストラリアが一番だよ!と言っていた。
なのに、シドニーでのおすすめのご飯は?と聞いたら、隣のにいちゃんと頭捻ってたのは笑った。
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カーディガンは買えなくて、もうそちらの気候に慣れていたのか。たくさんの写真も見れて、自分も旅行に行った気分になりました。
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