2019年6月17日月曜日

やる気が出る前 * * やる気が出て来た後 

細々と書いているこのブログも、「読んでますよ」と言ってもらうことが増えた。

「ダンスって言葉で説明できないじゃん?」と知った顔だった大学生の頃の私に、
「ダンサーも言葉を扱えなきゃダメだ」とさらなる知った顔で諭してきた大嫌いなお兄さん。


そんな影響でブログを書いてみようと思ってから早10年。
その人はまだ、果たして踊っているのかしら?






その時はまだ、言葉の能力(ちから)を今ほど信じてはいなかったけど。


手記のような読み物が割と好き。
ただし、読み手に媚びおもねる感じのエッセイのようなものは苦手。

最近読んだ三島由紀夫の「太陽と鉄」は良かった。他、アルトー、ドストエフスキーなど。
個人の感情のうねりが言葉の芸術まで昇華してかっ飛ばしてるくらいが気持ちいい。
だからたまにわけわからんけど。

詩になると言葉が上滑りしていって沁みてこない。
俳句の方が余白が多いから仲間に入れてもらえる感じ。





自分自身を客観視することは簡単なことではないけれど、言葉にしてみることで、一つ自分の外側に立ち位置を持つことはできると思う。

何かを語ろうとする時、その思考に形を与えようとする時、自ずと客観的な立場に立つことになるから。

みたいなことふと考えていて、今日の授業で学生に言ってみた。
伝わってなくてもいい。私が私のために言った言葉。


そうしたら、昨日ぼーっと見ていたヤフーニュースの記事で、「失恋した時は手紙を書きなさい、ただし相手にそれを送らないように」と書いてあったのも思い出した。






携帯のメモには、書き上げることのなかった言葉の切れ端がものすごい数眠っている。

最近は、一方通行の一つの文章にまとめようとせず、説明しすぎないように、*で余白をとることにしている。

*で留めておけば、前後を飛び越えて繋がりができる気がする。
それが言葉でちゃんと表せればいいんだけど。





こんな稚拙でも、一つの文章をまとめるのにすごくエネルギーが必要で、力尽きている間に風化していく。

去年書いた拙論文の抜刷りを職場の先生に渡したら、
「まずは書き上げるだけでいいんだよ!とにかく、書き上げて形に残さないと、無かったのと同じだから!」とやたら励ましていただいた。

本当はそれだけではいけないと、わかっているけれど。







いろんな人の身体を見ることが仕事のひとつだけど、
その身体の状態から、どういう性格や考え方なのかとか、どういう生活を送っているのかとか、色々想像する。

そうして結局、
私にとって他人の身体は、その人の生活が創り出した(まだ昇華しきっていない)アート作品なんだと、
色々考えた結果たどり着いた。

身体の状態は、その人の在り方を多少なりとも反映している。
身体の状態がその人となりを作ることもあるし、気持ちのコントロールで変わる身体もある。
身体を知っていくことの面白さが自分自身への興味や感受性の幅を広げることにもなるんじゃないかと。

そしてそういう方向性で論文をまとればいいんだと、ようやく入り口にたどり着いた。
時間かかったなぁ。間に合うんか?

自分で設問しといて目的を見失ってた学生へのアンケートも、参考にすべき先行研究も、少し明るくなった。

とりあえず130枚近い記述アンケートの文字起こしと分析からだ…やるぞー





去年、論文を書くために集計していた学生のアンケートを読んでいて面白いと思ったのは、
「脳が司令塔みたいな感じで、体はその操縦に従って動くロボットだ。だけどロボットがポンコツすぎて、思い通りに動いてくれなくてもどかしい」
という記述だった。

原因と結果を考察し、病因に対し処置をする西洋医学に対して、東洋医学は全人的な処置を行う。
インダス文明からアーユルヴェーダのいち医療行為としてとして取り入れられてきたはヨガも東洋医学に属しており、のちの仏教の言うところの心身一如の考え方とも通じる。

日本人としては、日本語に身体と感情を結びつける慣用句がたくさんあることもあり、心と身体は連動しあうという感覚の方が強いのかなと想像していたのだが…

そのはずなのに、脳が身体をコントロールするという発想はどこから来たのか。
でも彼女な丁寧な説明に膝を叩いた。溜飲を下げた。目を開いた。


アニメオタクを自称する彼女は、「自分の思考や感情など心の部分があれば、インターネット上に存在することができる。だから身体は社会に自分をつなぎとめているものに過ぎない」と言っていた。

最高にクール。情報化社会ここに極まれり。

そんなことあるかい、と思ったけど、そんなこともあるか、と思った。





先行研究を漁っていて面白かった部分を。

プロセスワーク(プロセス指向心理学)のアーノルド・ミンデルの著書から引用されたもの。

『当時私が見ていた患者は胃癌で死にかけていた。…ある日話をすることができたとき彼は、胃の腫瘍が耐えられないほど痛むといった。私は、彼の身体感覚、すなわち痛みの体験に焦点を当ててみようと考えた。…彼はどうすればそれができるかをよく知っており…あおむけに横たわり、おなかに力を加えはじめた。…まるで自分が爆発するかのように感じてきたのである。そして痛みの頂点で突然、叫び声をあげた。「ああ、アーニー、僕は爆発したい、今まで爆発することができなかったんだ。…僕の問題は、自分自身を決して十分に表現することがなかったということなんだ。」』(アーノルド・ミンデル:ドリームボディ・ワーク、1994)

なんて、面白いんだ。その動き見てみたい。そんなやり方があったのか。

表現かー!

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