ドランの『トム・アット・ザ・ファーム』見てきた。
私がドランが好きなのは、
もはや、作品に対するものというより、この監督が作品を作ってることそれ自体に対するものに近い。
ゆえに、ともすると盲目的。
だけど、そうまで惹きつけられる儚さを感じる。
映画を作ることや表現することへの愛を感じる。
そんなことはどんな映画にも当てはまるんだろうけれど、それをたまたま全身に浴びた快感は中毒的なものになる。
私自身の鑑賞体験としての思い入れ。
だから、それらは、どこか裂けている。
作品やモノを作ることは、自由そのもの。
自身を解放しうる唯一の手段。
他人のために身を尽くし対価を貰う、例えば仕事とは全く逆のベクトルなのだ、私にとっては。
仕事のためには、誰かに届けるために試行錯誤した言葉を使うだろう。
しかし自分の中で何度も添削しより正確さを増す言葉が、それと同じであるとは限らない!
発生のところ、自分の中に他人を置くかどうかという点で違いがあるんじゃないだろうか。
易しさ、優しさ。
違うのか?
他人のことを考えすぎる。
考えすぎるから考えられない。
頭が悪いのか、効率が悪いのか。
何もいらない!
必要なものはたぶん、はじめから全て揃っている。
だから、先へ進むために。
久しぶりに稽古をした。
一人、稽古場で、ストレッチして、歩いて、寝て、音楽きいて、動いて、
踊る気持ちよさと、自分の動きの甘さに対する許せなさだけが残る。
だけど、帰り道の風景はいつもより色鮮やかに目に映る。
そういうものだけが、そこに、積もっていく。