日々のことに追われているうちに、どんどん時間がすぎてしまった!
ブログをね、
書こう書こうとおもっているうちに…
今回もたくさん素敵な写真撮ってもらったので、作品のことと一緒に載せておきたいと思います。
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さて、さる6/25~26、
アントナン・アルトー生誕120周年記念企画「抵抗と再生-A・アルトーの映像と身体-」が立教大学にて開催されました。
卒業生として、新しい作品「私信」を発表させていただきました。
観客のみなさま、サポート頂いた関係者のみなさま、
応援いただいたみなさまに、ふかく感謝いたします。
ありがとうございました!
[私信]は、2つのシーンから成る15分弱のソロ小品です。
©Jun Takeuchi |
今回の企画はアルトーの文章からテーマを決めて作品制作というお題が出されていました。
私は『神経の秤』という文章から、"私信"と題された部分をモチーフに作品としました。
その文章を舞台化するというより、アルトーの文章の持つ雰囲気と表現そのものを自分のダンスという方法で形にすることとしました。
©Jun Takeuchi |
まだ[サイト]の興奮冷めやらぬころ。
[サイト]をやったことにより掴むことのできた、
観客の身体を惹きつける/自分の身体と結びつけている感覚を生かしつつ、
張り詰めることによって失われていた緩急をつけることを動きのテーマとしました。
©Jun Takeuchi |
©Jun Takeuchi |
「力を抜いて、頑張りすぎるのをやめて少しふざけてみよう。」
と思って作り始めました。
崩れ落ちる瞬間、
ぎりぎりのところ、
あとは、ちょっとだけ人間になってみること。
©Jun Takeuchi |
ロフト、かなり広いんです。
そこに、ポツンと自分ひとり。
遠くの客席では、たくさんの人たちが息をひそめてこちらを見ている、
のかもしれない。
まだ見えない。
身体が動いている感覚を、感じる。
きっかけは、些細な。
あれもこれも欲張らず、見栄を張らず、いま持ち合わせているものを丁寧にさらけ出すように。
これでいい?って自分の身体に訊ねつづける、
そうすることで動きがすべりだしていく。
力まずに軽く、ときにヘラヘラ、だけどスマートに。
©Jun Takeuchi |
作品の途中で一曲目が終わって、
舞台前方から後方へ振り返り、ゆっくり歩いていく。
観客の集中力を、そのまま引き連れて背負っている感覚。
©Jun Takeuchi |
たしかに自分がきちんと自分の身体でその集中力を受け止めている感覚になれたとき、
鎮まる客席がクリアーに、
見えた。
©Jun Takeuchi |
これは[サイト]でも得られた感覚だったけれど、狭い場所だからこそ得られる空間全体の感覚そのものだった。
客席と自分が30メートルくらい離れるロフトでは、そのつながりはもっと線のようだった。
届いている、とも違う。共有している、もしくは同時に在るという感覚に近い。
まだ完璧ではないけれど、やっとこのロフトの空間を埋めるきっかけをつかめるようになったんだな、なんて思った。
©Jun Takeuchi |
宇野先生に「見たことのない曲線がいっぱい生まれていた」と言っていただき、嬉しかったです。
自分の動く感覚としては、[サイト]の時よりもね、身体の中がすごく熱くなるの。
たぶん、より体幹に近い部分で動けているってことなんだろうけど、動き終わったあとの身体の温まり方が違うのと汗がひかないっていうね。
まだはっきりとはしていないんだけれど、
自分の追い求めるものがある気がして、少しづつそこへ向かっているような気がするのです。
なにもないところに、なにかをつくりだすことのおもしろさを、もっと。
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さて、
年明けからの久しぶりの本番続きがひと段落して、暑さにかまけてぼーっとしています。
いろいろ、次のことの準備をしながらの最近。
そうそう、
趣味で日舞を始めました。
長くなってしまったので、最近のことはまたこんど!