2014年6月7日土曜日

27

先日、27歳の誕生日を迎えました。

そりゃ毎年歳を重ねれば27にもなるさって感じだけれど、自分が27歳になるってのはなんだが不思議ですね。
って毎歳思う気がします。


27歳は、色々今までやってこなかったことやできないと思って避けてていたことをいろいろやってみようと思います。理由はお父さんにそう助言されたからです。笑
長い目で見て、何をどう続けていけるか、何を大切にできるのか見極めたいと思います。
仕事も生活もダンスも。

これまで瞬発力で積極的にマイウェイを邁進してたので、受身というか?笑 いや、流れに流されて洗い流してみるって感じかしら。

「身体は変えられる」と思います。ダンスしてる身としても、インストラクターやってる身としても。
イコールではないけれど、「自分も変えられる」となんとなく思います。変えたいという気持ちがあれば巡り合わせもきっとある。
確固たる自分像に縋るのもどうかと思います、そうはなっていなくても思っています、どうやら、私。それは恐らく昔から。

仕事の都合上身体は酷使していますが、あんまり気合入れて作品作ったり踊ったりは最近ひと休みという感じです。
一呼吸置いて、自分に何かこれまでにない感じを見つけるまで、見極めるつもりです。
守りたいものがあるから、安売りはしない。多分、大丈夫。


先日、上野にバルテュスの作品を見に行きました。

作品、どれも面白かった。
絵画が、絵画でしかない。
どの作品にも、「描きたいものを描く」それしかなくて、描かれたものはどんな言葉にも置き換えられなくて、ただただ絵の前に立って筆跡を目で触れながら愛でながら感じるだけの満たされた時間でした。

それが果たしてダンスだったらば、どうすることができるだろうと考えました。

もう既に、それを知っているのかもしれないし、知らないのかもしれない。
気づけていないだけのような気も、なんとなくします。

と、友人であるハラサオリのダンスを見ながら考えました。

いつまでも足りないから、がんばれる気がします。


ということで、梅雨、
今年こそレインシューズを買いたいと思ってるけどまた気づくと梅雨が終わってるんだろうなぁ。

2014年5月7日水曜日

さいきんのこと

のんびりとした春を満喫しております。
過ごしやすい気候、一年の内この時期が一番好き。

最近見たもの遡っていくつか。


・ゴールデンズ

昨日は、大駱駝艦の金粉ショー、ゴールデンズを池袋大道芸で見てきました。
いつか見たい、と思っていたものの、ついにここまで見ることが叶わず。
先日一緒に飲んでいた友人に話してみたらえらく興味を持ってくれたこともあり、道連れにして見てきました。

西口公園が会場だったのですが、始まるからカメラマンのおじさまたちがものすごくやる気で場所を陣取っているんですよね。
あれ、カルチャーショックでした。
物見遊山、観光的なデジカメで気楽に撮影とかじゃなく、アイドル撮影ばりの望遠レンズを装備した一眼レフがずらり。
撮った写真は一体どうするんだろうか?と疑問が頭を過りました。
金でもいいのか。金だからいいのか。いや、、

しかし金色に塗られた身体は、それはもう、なんとも言えないきれいな見世物でした。
出演者は今回皆様女性だったのだけど、女の私からしても胸の形が非常に美形!
始めはきれいだなぁと思って見ていたのですが、徐々に骨と金粉の間で揺れる肉が異様にデフォルメされて見えてくる気がしました。
不安定なピンヒールで支えられふらつく脂肪の揺れが、足からお尻、腰全体に響いていく様はまさにこれでしか見られないものでした。
ショーの終盤、金色の境界を越えてこちら側に染み出した汗の雫が宝石のように輝いていたのが目に焼き付いています。


・講演会

立教大学でお世話になった宇野さんの講演を慶応で聞いてきました。
舞踏について、土方と親交のあった宇野さんの話を聞く会という運びでした。

私は宇野さんの話している様子が好きです。整然と言葉が並ぶ文章ももちろんだけどそれより、宇野さんの言葉の選ぶ様子、間、連なり、話し方みたいなものがスリリングでとても好き。

修士制作の作品を宇野さんに見て頂いたときのことをよく思い出す。
作品を一通り見た先生が感想をぽつりぽつりと話す。その言葉を待ちながら、言葉が選ばれていく様を目の前で見ているのは、なんだかとても幸せな時間だった。
どの言葉が相応しいか、先生の中でより適切な言葉が幾重ものフィルターにかけられているのがわかる。それにも関わらず届けられる言葉は全体的に疑問形というか自問のような言葉の数々。
正直なところ、そして残念なところ、何を言われたのかは覚えていません。が、とにかく満たされていて幸せな時間だった気がします。

宇野さんの言葉運びには、いつも愛がある。
それは、話している対象への揺るぎない愛情や尊敬、そして何よりも言葉そのものに対する畏敬、そういうものが満ち満ちている。


・歌舞伎

久しぶりに歌舞伎見てきました。
身近に大変熱心な歌舞伎ファンがいるものですから、ほいほいついていくだけで私自身これと言って詳しいわけではありません。でも面白いです、歌舞伎。

今回印象に残ったのは、曽根崎心中。
坂田藤十郎がお初、息子の翫雀が徳兵衛。親子でラブコメ。
まぁそれはしょうがないから置いといて、惹かれたのは演出でした。

ラスト、駆け落ちする二人は森で心中するのは誰もが知っている結末。
さあ森に来た!、死を前に苦悩する二人!、これでもかとうじうじしておいて、さてやっと徳兵衛がお初を刺そうかって短剣振り上げたところで幕引きだったんですよね。
客席ぽかーんってかんじ。
書くとなんでもないのですが、これだけ死ぬのをためらっておいてさてどんな風にラストシーンが…!って客席の期待を高めきったところで強制終了。
あれは衝撃的だったなぁ。
脚色・演出は宇野信夫さん。覚えておこう。



あとは、
友達にご飯作ってごちそうしてもらったり、8か月ぶりに美容院行ったり、東京タワーを目指して歩くつもりが消灯していて三田を徘徊したり、久しぶりに東京タワーに昇ってお土産屋さんを満喫したり、焼きはまぐりがノンストップで出てくる居酒屋に行ったり、仕事用の新しいバッグを買ったり、健康的なごはんを食べた後マックでハンバーガー食べたりしました。

さて今週末は実家で、高校の同級生の結婚式だそうで。
母の日のプレゼントと、祖母へのバースデイプレゼントを持って帰ります。

2014年3月30日日曜日

allele 全3回公演、無事終了。

allele]、3ヶ月に渡る3回の公演が無事に終わりました。

ご来場頂いたみなさま、気にかけてくださったみなさま、支えてくださったスタッフに、は感謝しかありません。
ありがとうございました。

連絡先の分かるすべての方にお礼のメールを出し終えて今、
ようやく本番を終えて自分の中で作品のことを冷静に見ている気がします。


さて毎度のことながら、愉快な話とか全然できないんだけど、書く前からぐったりするくらい長い話になる気がするけれど、まぁ私の日記だからいいよね、
今回の公演の反省会です。お時間ある方は読み進めてみてくださいませ。

…ってね、こうやってくどい文章をそのまんま書いてしまうのが私の欠点だと、
なぜか今回の作品で思い知りました。


先週末だったか、新しいヨガのクラスを担当させてもら(えるかもしれない)うスタジオで、オーナーの方に私のレッスンのやり方を見て指導してもらう時間というのがありました。

そこで言われたのが、私の指示の出し方がご丁寧にいちいち文章のように話すものだからテンポが悪い、ということでした。
例えば、「…そうしましたら息を吸って、その体勢をキープしたまま右手を前に出しましょう」みたいに、言葉数がやたら多い、と。
インストラクターって長時間1人でずっと喋ってるものだから、無言が怖くなってしまうのです。
ゆえについ、自分が流れるように喋ることを優先してしまって、お客さんの動きのテンポを乱していたようでした。
ちなみに上記のものは、「吸ってーー、右手を前にーー」で済みます。単語でいいと。

言葉数を減らすようにしたら私自身も落ち着いて話せるようになった気がしたし、一つ一つの指示が明確になる気がしました。何より、実際に指示を聞いて動くお客さんのテンポに意識を向けるきっかけをもらった気がしました。


そんなことを考えながらも稽古は続いていました。
でも指導を受けたその夜の稽古では、自分のダンスにもそれが響いて、少し頭の中も動きも軽くになったように思います。

軽くなったら、自然と音の聴き方も変わりました。
自分が音楽と踊るときに聴くべき層のようなものが掴めた気がしました。
普段聞いているところから一度ピントをはずして、ぼかすようにすると、ふわっとした流れのようなものが聴き取れる感じでした。


そんなこんなで稽古を続けていると、次の課題が表れます。

本番の前々日くらいだったか通し稽古しているときにふと、今の私のダンスや作品に"意外性"が足りないなと思い至りました。
それはそのまま、本番中も考えてました。

良くも悪くも、馬鹿正直にがっちりやりすぎていて、はっとさせるような、惹きつけるようなポイントがないなと思っています。
それはおそらく、地面にクッションを敷いておいた上で繋いでいた手を放して落とす、みたいな感じのもの。
クッション用意してないけど手を放す(どうなるかわかんないけどね!)、みたいな荒業は私にはできません。
今は多分、クッションを用意してないのでとりあえず繋いだ手を離さないように全力で掴んでいる、みたいな感じだと思います。

なんとなく、自分で思っている以上に、全体の印象が重いのだと思います。
よく感想でいただく意見に、「頑張っている気迫が伝わってきました」みたいなものがあって、結構必死でやってるからその感想はうれしく受け取るのですが、なんかもっと軽やかに裏切れないものかね、と今回思いました。
見てくれた友人から、「解放感」がないと指摘されました。なんか、くやしいけど、そうだなと思いました。


そんなことをここ数日考えていたらふと、
解放感のない重さってそのまま私の人となりを表しているじゃないか、と昨日仕事中に気づきました。
そして、そんなようなことを人に言われたり、私自身自覚したような出来事が一気に脳裏を埋め尽くして気持ち悪くなりました。
意外性がないと自分で自分の作品に見出したことも、言ってみれば私の人となりに人を惹きつけるような意外性が足りないんだと気付いたも同然でした。

まったく恐ろしいですね、
なので今、割と落ち込んでます。



話は変わって、

3か月連続公演をしてみた感想は、
やってよかったなぁ、です。非常に大変でしたが。
なにより、同じ場所で出来たのがとてもよかったです。
そして、快く力を貸してくださったキッドアイラックには感謝しきれません。

本番が終わるとまた本番1か月前になっているというループは最初こそ恐怖でしたが、
良いのか悪いのかわかりませんが3回目ともなると終演時の達成感みたいなものがまったくなくなって、純粋に次の課題だけが残るという修行僧のような心持になりました。
でも、次に繋いでゆくためのテンションの作り方は出来た気がします。

残念だったことというかなんというか、本番近くに仕事がないと喜び勇んで稽古場を取っている自分。その分収入はなくなるはずなのに、はたしてオフを喜べばいいのか悲しめばいいのか分からなくなっていました。

まぁここしばらくは働きます。
もう少し生活が軌道に乗ったら、また作品作ります。

それまでに、意外性とかもろもろの課題について、考えてみます。


桜咲く春がやってきて、街も色めき立っていますね。

季節の変わり目ですから、体調にお気を付けくださいとかメールに書いていた私が久しぶりに風邪をひきました。
一昨日から咳が止まりません。
身体は確実に弱っているはずなのに、本番が終わりご飯を食べる理由を完全に見失ってしまって、途方にくれています。


ひとまず、この辺で。

とにもかくにも、お客さんもスタッフもみんな、公演を成立させてくれたすべての方に感謝。
本当に、ありがとうございました。

2014年3月17日月曜日

allele 3回目にむけて、最近のこと

日増しに春が近づいてきていますね。

ベランダに放置していたボケの苗木も、もう枯れてしまったのではないかという心配をよそに新芽と蕾をつけていて、暖房器具の貧しい私の部屋にもいよいよ新しい季節が足を伸ばしています。

allele3回目の本番に向けて稽古をしています。
何を思ったか、かっ飛ばして月に一回公演をしてみましたが、今回で一応一区切りです。
前2回にやったことを含め、3回目は集大成の公演になるようにしたいと思っています、とはいえやはり新作になっているのだけど。

今後も半年から一年に一本は作品作っていきたいなあと思っているところです。

最近のことや稽古で考えていることも含め、少し長くなりそうだけど書き記しておきたいと思います。


今回の公演の大きな目標は、自分の生活を作るところにありました。
単純に言えば仕事と稽古をやりくりすること。

ダンスは、自分の身体を使ってするものです。極論を言えば、生きていけなければ踊れないのです。生きることが、踊ることとってなによりも必要なのです。人生のやりくりも、少なからず自分のダンスを創る要素です。
ピナの言葉を借りるのであれば、「私は私の人生を踊っている」、自分がどう生きるかということも、ダンスにすべて表れると思います。

だからといって別に、センセーショナルでスキャンダラスな、人目を引く生活をしなければならないとは思っていないけれど、自分のやりたいことをするという自分に対する誠実さを通すために頭を捻っているところです。

正直、結構大変です。まぁ楽だったらつまらないので、よいのですが。
現段階ではぎりぎり、足りてない感じですね時間もお金も(!)。やる気だけはあるってことは身に染みて感じます。


それから、作品のこと。

この作品はなによりも、バッハのトッカータという曲がなければ生まれなかった作品です。
トッカータとは、即興曲という意味で名付けられているもので、バッハのみならずたくさんの作曲家がトッカータという形式の作品を残しています。
バッハのトッカータは、通し番号BWV910番から916番まで、7つの小作品があります。

一回目からずっと使っている915番。
この曲との出会いはコンサートホールでの仕事中、ピアノコンチェルトの後のソリストアンコールでとあるピアニストがこの曲を演奏したのを耳にしたのがきっかけでした。
それまでこの曲は知らなかったのですが、曲が始まってすぐに引き込まれえらく感動し、仕事後にすぐ調べた覚えがあります。
美しく折り重なる複雑なメロディは一音一音や和音が美しいというよりも、前の音今の音次の音と連なることでうねるような動きがあって引き込まれます。この曲で、というより、この曲のように踊りたいと心から思いました、制服で仕事中に(こういうことがたまにあるからあの仕事辞められない)。

ピアノという、限られた数の鍵盤から数えきれないほどの曲が生まれることは本当にすごいことだと常々感心します。ピアノに限らず、どんな楽器においてもいえることだと思いますが。
どの音を選ぶか、どのようにメロディを形つくるか、一音一音の選択が無限の可能性を持っていることの偉大さを身に染みて感じます、ダンスもまた同じだと思うからです。

さらに言えば、私はソロで踊るときは一つの楽器で演奏される曲が好きなのですが、その理由として楽器が自分の身体でありダンスが音楽であるという聴き方が一番心地よいということがあります。この聴き方がベストかどうかはまだわかりませんが、現段階ではそういう感触があります。
演奏者に思いを寄せ音楽に自分の身体を添わせて動けるときはぞくぞくして、鳥肌が止まりません。まさに自分がこの音楽と踊っていることの実感を得られる気がします。


それから、テーマのこと。

ダンスを作品として形にまとめるとき、内容やテーマといった「伝えたいこと」の存在がいつも頭を過ります。過りますし、作品としてそういうものが必要であることは十分に承知しています。
しかしながら、いまだテーマというものを当たり前に設定することに踏み出せない自分がいます。きっとこの先もずっと悩むポイントだと思います。

これまであまり疑うこともなくテーマから作品を作るということをさんざんしてきて、うまく出来ていた気がしないし違和感がぬぐえなかったのが原因です。テーマとして設定する言葉とダンスの間にどうしても乖離がある、それは私が言葉によるイメージを十分に省察していないことによるのかもしれません。もしくはダンスの方に余分なものがくっついているのか。

しかしここ最近私のダンスで面白いのは、踊る私の考えていることがそのままお客さんに伝わっているということです。
こちらは45分くらい自分の集中力を切らさないということを一番の目標に掲げているのですが、非常にクリアに私の精神状態がそのままお客さんに伝わっているようです。
「頑張ってるね」ってよく言われます。まさに頑張ってるので間違いではないです。


そんな中ぼんやりと、今回のalleleという作品のテーマは何かと言われて浮かぶのは「私は踊りたい、踊るためにどうしたらいいか」というなんというかテーマなのかよく分からないようなことです。
伝えたいことは、「私踊ってるよ!」ということです。

そのためにも、数ある可能性の中から1つを「選ぶ」ということが重要です。
限られた数の鍵盤から1つの音を選ぶように、一つの選択が先の選択肢を生み、枝分かれしていく様子。
alleleという言葉は生物学の用語で、意味は「対立性遺伝子」です。

あまり大仰なテーマを設定せず、今かすかに思うことを少しだけ。
タイトルのalleleって、アレルって呼んでます(ほかにアレレとかアリールとか読むらしい)。かわいいでしょ、名前みたいなものよ。


昨日とあるパーチーで、ダンスの評論家に言葉を扱うことの重要さをとくと語られました。
そのせいなのか、久しぶりに長く文章を書いてみようと思いつきましたが、長くなる一方なのでこの辺で。
自分のダンスについて話せと言われれば正直一晩明かすくらい言いたいことはいろいろあります。

今日稽古しながら思ったことは、話すように踊りたい、ということでした。
弾む会話のように、連なってあふれるイメージのように、言葉にして表すこともしないことも、そこに隠れる思いやりや感情も、なにより、独り言ではなく自分が話す人でもあり聞く人でもあるということ、相手がいるということ、すべてひっくるめて。


おっといけない、宣伝するのを忘れるところだった。
allele、ラスト3回目の公演は
3/26(水)20:00開演(19:40開場予定)
@明大前 KID AILACK ART HALL
前売・当日共に1500円、2回目3回目の方は1200円。
予約はmaakiitoo@gmail.com

どうぞよろしくお願いいたします。


南向きの窓から差し込む春の日差しに騙されて、薄着で外出してしまいがち。
体調など崩さぬよう、お気をつけて。

2014年2月25日火曜日

allele 2回目が終わって深夜

絶賛月1で公演中のallele。

2回目が無事に終わりました。
いや、あんまり無事でもなかったかな笑
本番中に床の金具に足を思い切りぶつけたらしく少々流血しましたね。
終演後客出しの時に指摘されて気づきました。
でも最近ムキムキになってきたので大丈夫です。

打ち上げして、さっき終電で帰ってきました。
本当は見にきてくれた方々にそれぞれお礼の連絡をするのが先決なのですがそれは明日ゆっくりということで、
なんだか今、まさに考えてることを書き出したくなって日記を書きます。


2回の本番を終えて今、完全にネタが尽きました。

ここからが勝負だと思います。

やり尽くした先に行かなければいけません。
やり尽くした先に行くには、まずやり尽くさなければなりません。


稽古で良い感じに踊れた日があるとします。
しかし次の日の稽古で、昨日良い感じの内容をトレースしようとすると絶対にうまくいきません。
何度も何度も失敗しました。
上手くいった日こそ、翌日それは捨てるべきなのです。全て真っさらに忘れてやるべきです。
上手く行ったものを捨てるのは惜しいし、それを高めたら良いのではないかって揺らぎます。
でも、良い感じに踊れたということは経験として蓄積され身体に残っています。それがいつか身になるのだと思います。

最近はそういうスタンスなので、昨日上手く行った構成を翌日にまず疑って否定してみます。

こんなに即興ばかりで踊っていると当然、動きの癖もあるし限界を感じたり飽きがきたりします。
でも、それでも我慢してひたすら踊るとふと、ほんの些細なところで今まで経験したことのない動きが自分の身体で実現するのです。
本当に、ほんの少しだけ。ミラクルだ!ってちょっと自分で興奮してる。


誰もやっていないダンスを、誰よりも上手に踊っている自信があります。

でもやっぱり、芸術は誰かと比べるものではないと思います。
しかしながらそれは、どれだけ本人が深みにはまってそれを突き詰めたか、そこから始めて価値が決まる気がします。その点では相対評価ではなく、絶対評価です。

相対評価は、例えばまだ突き詰められていない段階、突き詰めていく段階で行われるものだと思います。評価軸は単一です。
絶対評価は、評価軸が評価するものの分だけあるのです。
どちらが良いとも悪いとも言いたいわけではありません。


なんとなく、
ダンス踊ってる、とか、舞台やってる、とかじゃなく、
芸術として、きちんと作品を作りたいのです。
同じに聞こえるかもしれませんが、というかほぼ同じなんですが、
ダンスや舞台の実際の現場では芸術という言葉はなんかどストライクすぎて恥ずかしいというか小難しくてむずがゆい感じなんです私だけかもしれませんが。
上手く言えない。

芸術という言葉に付かず離れずえもいわれぬ魅力を感じてここまできた気がします。なんですかね、大学の進路を選ぶときに芸術という言葉でふるいにかけていたあの感じ。

踊る私そのものをきちんと形にしたいのです。



というわけで昨夜これ打ちながら寝落ちしました。
今日も梯子仕事です。

さぁ3月いくぜ。

2014年1月30日木曜日

allele 1回目が終わって。

久しぶりの自催公演、fundada-②[allele](ちなみにアレルと読みます)。

一回目の公演が昨夜無事に終わりました。

この告知の少なさでご来場下さった皆様には本当に感謝します。いつもより力強くて長い拍手を頂けて、とても嬉しかった。
また、気にかけて頂いた方々も、是非2/24,3/26の本番へ足を運んで頂けましたら幸いです。
まだまだ、やります。


[allele]はソロの作品です。
今回は2シーン構成で45分ちょいの作品でした。

本番一週間前に構成が固まり、2日前に構成が前後逆転し、本番数時間前からの怒涛の仕込み、時間なくてゲネは全部通せず、なんだか怒涛の本番。
劇場さんの大いなる力添えにより、無事に終えられました。

今回のスタッフは以前の公演にも付いてもらった照明さん、伊藤侑貴氏にやってもらいました。(ちなみに結局音響までやってもらうという…)
ちなみに彼は普段演劇現場につく方が多いそうですが、自分の見るものにはかなりはっきりと良し悪しを言い切るやつなのでダンスでもなんでも残酷にバッサリです。
揺るがない自分の尺度を持ってる人は信用できます。

照明指定プランは一切なしの全権委譲、彼がやりたい様に作った明かりに当たりにいくというスタンス。
どっちも本番のそのときまで細かく何をするか全く決めてないという、自分で決めておいてなかなかスリリングで楽しい本番でした。



最近、私のダンスを見てくれた人に、「新しいダンスだね」と言われることがしばしばあります。
自分としてはものすごく根源的で原始的な衝動だけに削いで踊ってるだけなので、その感想を初めてもらったときには意外な気分がしました。

でも、明らかなことは、私は自分が今まで見たり実際踊った経験のうちから、好き/嫌いの感情をはっきりと意識し、疑問を自分なりに解決しようとやってきた結果が今のダンスです。
もし、今、つまり私が生きているこの時代で新しさを手に入れられるのであれば、それはおそらく「今」の「このとき」をきちんと踊れていることになるのかもしれない、なんて思います。


ダンスは、より明確な情報が伝達され共有される、例えば単純に言葉のような表現とは違って、見る人それぞれがダンスを見ていろいろなことを感じ、考えます。

だけど最近はっきりと感じるのは、自分が身体に新鮮な発見を見出しつつ集中しているときにはお客さんも興味を持って見てしているし、自分が集中力切れたときにはお客さんもつまらなくなっている。それだけは、ものすごくはっきりと伝わってしまうのです。

びっくりします、見てる人とタイミングを照合すると、完璧に自分の心の機微がまんまお客さんと共有されてるのです。考えてることがまんまばれている。笑
その昔、テーマが上手く表現できないと悶々としていたあれは一体なんだったのか!こんなにもはっきりと伝わるものがある。
これは私が今のようなダンスをしているせいなのかどうかは分かりません。
しかし私がダンスを通して何か伝えたいことがあるとすれば、踊るのが楽しいってことだけなんだろうな、と思ったりします。

よく考えれば、私が今でも踊る理由はたしかにそれだけです。


私は、ダンスを踊ることもなければ見ることもないという人に自分のダンスを見せるのが割と好きです。

最近の自分のダンスには、解釈や説明は一切つけませんし、もちろんダンスには言葉はありません。
だけど、見てくれた人たちはそれぞれ自身のうちに起こった経験をものすごく多彩な言葉にして投げかけてくれます。
そしてその感想の言葉には迷いがなく、もちろん他人の物差しも一切なく、その人自身の内から発せられる言葉だと感じることが出来ます。
それが私にとって何よりも嬉しく、また自慢でもあります。

誰か他人の言葉を借用してみたり、格好つけて難しい言葉を使ったり、そういうのは判別できる気がします。だって自分がかつてそうでしたから。
言葉は情報だけを伝える訳ではなく、使う人のひととなりや心の機微も感じさせてくれます。
その点、つまり表現するという点においては言葉もダンスとなんら変わりありません。



だんだん話がそれてしまいましたが、
次は2/24、二回目の本番です。
何しましょうかね…笑

色々突き詰めてやってしまったので、もう少しこのやり方で落ち着いたら、今まで嫌だやりたくないと手放したものや恐がっていたものへも少しずつ手を拡げていきたいですね、なんて、先は長いねぇ。

もし興味を持って頂けるのであれば、是非劇場へ足を運んで頂けましたら幸いです。
何かしら、良いもの、ダンスをお見せできるつもりです。



寒いのか暖かいのかよく分からん日々がつづきますね、
身近でインフルエンザに討死した戦友がちらほら。
どうぞご自愛くださいませ。

では!

2013年12月15日日曜日

最近のもろもろ

今週ははじめてのことづくしの一週間でした。

こども向けのバレエクラス、大人向けのバレエクラス、バレエヨガクラスが始まって、別の新しい仕事が初勤務、ホールの仕事もこれまでと違って人をまとめなきゃいけない配置に初めてつかせてもらい、
なんだか大変刺激の多い一週間でした。

そして合間に細々と1月からの本番の稽古もしております。



数年前にはあんなにやりたくないと思っていたインストラクターの仕事も、色んなレッスンを持たせてもらえて学ぶことも多く、徐々にはまりつつあります。

先生業ってのは人様に自分の何かを押し付ける気がしてなんとなく嫌でした、
だけど"押し付け"なんて奢りを言う以前に、人に何かを教えたり伝えたり為にどういうパフォーマンスをするかという地点で、改めて自分自身に何ができるのかを考えさせられます。


(できますよ!って軽いノリで言ってしまった)子供向けのバレエクラスは、正直暗中模索でかなりどきどきでした。
お母さんの背後から恥ずかしそうにこっちを見る子供を見て、私も同じ気持ちさね!と思いました。

「みんな初めてのバレエでどきどきしてるかもしれないけど、私も初めてのレッスンでどきどきしてるんだからね!」って言う私を、8つの目がじーっと見てた。


初めてバレエ教室に行った3歳のときのことは一切覚えていませんが、見学に行ったその日からバレエのお稽古に参加しのめり込んで以降23年踊って来てしまった私としては、とにかく楽しくてもっとたくさん踊りたいと思ってもらえるクラスにしたいと思っています。

小さい頃にバレエのお稽古を通して色々考えて、未だに自分の考え方として残っているものもたくさんあります。
例えば、踊りに順番は付かないこと。
人それぞれの踊りに世界で1番素敵なところがあること。
これは自分のクラスでは絶対に大切にしたいと改めて思います。
伝えるの難しいと思うけど、他人に自分の評価を全て委ねるまえに、自分と自分の身体と他人にちゃんと向き合えるようになってほしいな、と思う。
そしてこれが正に、私の通ってたバレエ教室の方針だと気づくのだけれど。

大人の、バレエにしてもヨガにしても、向き合うのは自分と自分の身体。

全体を通して私の伝えたいことの根っこは一つ。
身体は日々変わっていく。それを恐れて"変わらないもの"に縋るより、変化をコントロールし自身のうちで産み出し、"変えていく"こと。
例え世の中から明るい可能性が潰えたとしても、自分の身体には最後まで可能性がある。

なんて、思っている。
そんなんだから、どんどんどんどん社会から切り離されてっちゃうの。



切り離されちゃてるついでに、作品の稽古もしてますの。

自分の出た作品の映像とか稽古の映像とか、2〜3年前までとてもじゃないけど見られなかった。でも最近は毎回最後に、自分の動きを映像で撮って見ます。

昔は10分撮っても面白いとこ一箇所か二箇所くらいだったけど、最近は割と自分で見てて面白い。でもなんかこう、もっとすごい感じになる気がする。
もう一つ間が伸びたり、縮んだりしないものか、もう一つ大きく、小さくならんものか、そんなこと考えながら映像を見ております。
身体の精度を上げたい。

8月にやった「譚々」と言う作品は、ドラムを叩いてくれたハタヤマンと共に私も20分以上椅子に座って踊りました。
最後に立ち上がって踊りながらはけていくのだけど、これがどうにも上手くいかない。普段は立位で30分は軽くいくのに、この作品では立ち上がったあとダンスが5分と保たなかった。
そのときはどうしてか分からなかったのだけど、どうやら演出に身体が甘んじていて身体そのものを俯瞰的にコントロールできていなかった、椅子に座ることを踊る間常に選択していなかったのだとのだと思い至りました。

身体の精度を上げるってことはコントロールするということと常に密接に関係しているようです。

1月の本番は、そんな感じでやろうと思っています。


あと、最近改めて自分の立ち方を考えています。立っている姿。
どうやら足裏の体重の掛け方がよろしくないということに気づきまして、歩き方や立ち方全体的に見直しています。
目指しているのは宮本武蔵の立ち方です。すっと、たち上がるような立ち方。


以上最近のことでした。

寒い日々が続きますので、暖かくしてお過ごしくださいませ。

あと、
"allele"、1月の本番は29日(水)夜20:00〜明大前KID AILACK ART HALLでございます。