2018年7月23日月曜日

最近の頭の中

研究論文を書かねばならないのだが筆が進まない。
多分、論文を書くためにためのもう一人別の自分を用意しなければならない気分になっているのが問題をややこしくしている原因な気がする。
おそらく気取らず自分のまま書くべきで、そのためにはもっと自分が何を言い表したいのか明確にしなければならない。

もう少し具体的に何を考えているのか考えてみようか…
暑くてしんどい。



〈私は研究者じゃなくて表現者なんじゃないか、なんて〉
研究者って本をたくさん読んでいて、知識が沢山ある人のことを言うんでしょう。修士から博士に進学する同期を見て、この知識と勉強量は私には無理〜なんて言って他人事だと思っていた。
論文を書くと決めた時、私は研究者としての顔をも持つのねなんてちょっと自負があったりしたものだが、別の人格を用意して書けるほど優秀ではなかった。
それっぽく研究者面は無理だし、それをやっても意味はない。当たり前だけど。
そもそも研究者てなんだよ。そんなおしゃれな仕事はない。

あくまでも実践研究の立場で、自分がこれまでやってきたことを言葉でまとめるべきだ。素材は揃っていて、どう言う切り口で語るのかが問題。


〈教える仕事〉
大学生の頃は、教えの仕事は絶対したくないと思っていた。
今の仕事は、別に自分のダンサーとしてのやりたいことを全く無下にしているわけではなく、むしろプラスだと思うからこそやっている部分もある。

自分の身体でない他人の身体がどう動いて、どう考えて、どう変化するのか、こんなに近くで観察できて、かついくらでも試したいことができる。
身体という共通するモノについて、いろんな人と話ができる。
他人が何を望んでいて、どこへ向かっていくのか、寄り添うことができる。

私のこの感覚、自分の身体で起こっている面白いことを、より多くの人と共有するためにはどういう手段をとるべきなのかをずっと考えているわけだ。それが自分の作品だ。


〈私が見たい画〉
心酔させたい。人が何かに夢中になる、一点に向かわせる。
たくさんの人がいっぺんにそうなった時、人間が並んでいるだけだけどそれが美しい自然の風景と同じくらい静謐でそれでいて鮮やかな風景になる。これは本当に快感で、独り占めできるご褒美のようなものだ。すごく綺麗な景色。

たくさんの人数を思いのままに動かすことは面白い。たくさん人がいて、みんな違うけれど、それを統一できた時、何か真理を突いた気がして楽しい。


〈自分のダンス〉
動画で見てて、面白い。捉えどころがないけれど、違和感のようなはっとするようなほんの小さな繋がりみたいなものが繋がっている感じは、他のダンサーにはない動き方だと思う。
だから、はっきりとわかりやすいダンスが好きな人は見逃してしまうと思う。見る方にも集中力や注意力を要請しているから。
踊ってるか踊ってないかの境目が面白い。私がやろうとしていることはすごく難しいけれど、うまく行ったら絶対私にしかできないモノが生み出せると思う。そしてその境目を探してるってことは、私にとってダンスって何かということを探していることでもある。

踊っているときの面白さは、自分のダンスが今絶対的に見ている人の身体にリンクしている、と自分の身体で実感できる感覚がある。集中力が自分の身体に向いているその目には見えない光線のようなものを一身に浴びているような。ぞくっとする。


〈ヨガや身体のこと、哲学に関する本を読むことは面白い〉
多角的な考え方ができる気がするから。これまで知らなかった視点が得られる。
逆に、自分が一生懸命考えてたどり着いたことがいとも簡単に書いてあることもある。


〈大学生に言いたいこと〉
「自分はこう考えている」ということをきちんと表現できる人になってほしい。そういう人が増えたら、多分世界が面白くなるから。
自分の考えを言えない人ほど張り合いのない人はいない。というか、私は結局自分の意見をはっきり言える人の方が面白いと思っている。思いの強さやそのパフォーマンス含め。そういう人の方が人目を引くし、集団の中で尊重されやすいと思う。思っていても言っていないのなら考えてないのと一緒、という暴論があるけれど、あながち間違っていないと思う。
もちろん、引っ込み思案だったり、自信がなかったり、ネガティヴな気持ちはあるかもしれないけれど、それはあなたの都合でしょと思ってしまうのよ。
自分がどう思っているのか、徹底的に突き詰めてみればいいし、言ってみて何か変わることがあるかもしれない。そんなに他人は自分のこと気にしていないし、所詮同じ人の形をしたやつの集まり、そこまで他人を出し抜くほどの大したことを考えられる訳でもない。

〈だけど、みんながそうしているから自分もそうしなければならないとは思わない〉
みんながしていることはみんながすればいいのであって、私がそれをやる理由にはならない。これは私の中の絶対的な基準であって、性格だと思う。


話が逸れた

樋口聡先生の「身体知」という考え方の書かれた本を読んで、私のやろうとしていることの行先を指し示してくれている気がしてすごく面白かったんだ。
私の言いたいことなんで思い込みの戯言でしかないけれど、確かに誰かが同じようなことを目指して頑張ってる。
あの本を読んで、自分のやっていることを言葉でまとめてみたいと思ったんだ。

走り書きでした。

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