2014年1月30日木曜日

allele 1回目が終わって。

久しぶりの自催公演、fundada-②[allele](ちなみにアレルと読みます)。

一回目の公演が昨夜無事に終わりました。

この告知の少なさでご来場下さった皆様には本当に感謝します。いつもより力強くて長い拍手を頂けて、とても嬉しかった。
また、気にかけて頂いた方々も、是非2/24,3/26の本番へ足を運んで頂けましたら幸いです。
まだまだ、やります。


[allele]はソロの作品です。
今回は2シーン構成で45分ちょいの作品でした。

本番一週間前に構成が固まり、2日前に構成が前後逆転し、本番数時間前からの怒涛の仕込み、時間なくてゲネは全部通せず、なんだか怒涛の本番。
劇場さんの大いなる力添えにより、無事に終えられました。

今回のスタッフは以前の公演にも付いてもらった照明さん、伊藤侑貴氏にやってもらいました。(ちなみに結局音響までやってもらうという…)
ちなみに彼は普段演劇現場につく方が多いそうですが、自分の見るものにはかなりはっきりと良し悪しを言い切るやつなのでダンスでもなんでも残酷にバッサリです。
揺るがない自分の尺度を持ってる人は信用できます。

照明指定プランは一切なしの全権委譲、彼がやりたい様に作った明かりに当たりにいくというスタンス。
どっちも本番のそのときまで細かく何をするか全く決めてないという、自分で決めておいてなかなかスリリングで楽しい本番でした。



最近、私のダンスを見てくれた人に、「新しいダンスだね」と言われることがしばしばあります。
自分としてはものすごく根源的で原始的な衝動だけに削いで踊ってるだけなので、その感想を初めてもらったときには意外な気分がしました。

でも、明らかなことは、私は自分が今まで見たり実際踊った経験のうちから、好き/嫌いの感情をはっきりと意識し、疑問を自分なりに解決しようとやってきた結果が今のダンスです。
もし、今、つまり私が生きているこの時代で新しさを手に入れられるのであれば、それはおそらく「今」の「このとき」をきちんと踊れていることになるのかもしれない、なんて思います。


ダンスは、より明確な情報が伝達され共有される、例えば単純に言葉のような表現とは違って、見る人それぞれがダンスを見ていろいろなことを感じ、考えます。

だけど最近はっきりと感じるのは、自分が身体に新鮮な発見を見出しつつ集中しているときにはお客さんも興味を持って見てしているし、自分が集中力切れたときにはお客さんもつまらなくなっている。それだけは、ものすごくはっきりと伝わってしまうのです。

びっくりします、見てる人とタイミングを照合すると、完璧に自分の心の機微がまんまお客さんと共有されてるのです。考えてることがまんまばれている。笑
その昔、テーマが上手く表現できないと悶々としていたあれは一体なんだったのか!こんなにもはっきりと伝わるものがある。
これは私が今のようなダンスをしているせいなのかどうかは分かりません。
しかし私がダンスを通して何か伝えたいことがあるとすれば、踊るのが楽しいってことだけなんだろうな、と思ったりします。

よく考えれば、私が今でも踊る理由はたしかにそれだけです。


私は、ダンスを踊ることもなければ見ることもないという人に自分のダンスを見せるのが割と好きです。

最近の自分のダンスには、解釈や説明は一切つけませんし、もちろんダンスには言葉はありません。
だけど、見てくれた人たちはそれぞれ自身のうちに起こった経験をものすごく多彩な言葉にして投げかけてくれます。
そしてその感想の言葉には迷いがなく、もちろん他人の物差しも一切なく、その人自身の内から発せられる言葉だと感じることが出来ます。
それが私にとって何よりも嬉しく、また自慢でもあります。

誰か他人の言葉を借用してみたり、格好つけて難しい言葉を使ったり、そういうのは判別できる気がします。だって自分がかつてそうでしたから。
言葉は情報だけを伝える訳ではなく、使う人のひととなりや心の機微も感じさせてくれます。
その点、つまり表現するという点においては言葉もダンスとなんら変わりありません。



だんだん話がそれてしまいましたが、
次は2/24、二回目の本番です。
何しましょうかね…笑

色々突き詰めてやってしまったので、もう少しこのやり方で落ち着いたら、今まで嫌だやりたくないと手放したものや恐がっていたものへも少しずつ手を拡げていきたいですね、なんて、先は長いねぇ。

もし興味を持って頂けるのであれば、是非劇場へ足を運んで頂けましたら幸いです。
何かしら、良いもの、ダンスをお見せできるつもりです。



寒いのか暖かいのかよく分からん日々がつづきますね、
身近でインフルエンザに討死した戦友がちらほら。
どうぞご自愛くださいませ。

では!