2014年3月30日日曜日

allele 全3回公演、無事終了。

allele]、3ヶ月に渡る3回の公演が無事に終わりました。

ご来場頂いたみなさま、気にかけてくださったみなさま、支えてくださったスタッフに、は感謝しかありません。
ありがとうございました。

連絡先の分かるすべての方にお礼のメールを出し終えて今、
ようやく本番を終えて自分の中で作品のことを冷静に見ている気がします。


さて毎度のことながら、愉快な話とか全然できないんだけど、書く前からぐったりするくらい長い話になる気がするけれど、まぁ私の日記だからいいよね、
今回の公演の反省会です。お時間ある方は読み進めてみてくださいませ。

…ってね、こうやってくどい文章をそのまんま書いてしまうのが私の欠点だと、
なぜか今回の作品で思い知りました。


先週末だったか、新しいヨガのクラスを担当させてもら(えるかもしれない)うスタジオで、オーナーの方に私のレッスンのやり方を見て指導してもらう時間というのがありました。

そこで言われたのが、私の指示の出し方がご丁寧にいちいち文章のように話すものだからテンポが悪い、ということでした。
例えば、「…そうしましたら息を吸って、その体勢をキープしたまま右手を前に出しましょう」みたいに、言葉数がやたら多い、と。
インストラクターって長時間1人でずっと喋ってるものだから、無言が怖くなってしまうのです。
ゆえについ、自分が流れるように喋ることを優先してしまって、お客さんの動きのテンポを乱していたようでした。
ちなみに上記のものは、「吸ってーー、右手を前にーー」で済みます。単語でいいと。

言葉数を減らすようにしたら私自身も落ち着いて話せるようになった気がしたし、一つ一つの指示が明確になる気がしました。何より、実際に指示を聞いて動くお客さんのテンポに意識を向けるきっかけをもらった気がしました。


そんなことを考えながらも稽古は続いていました。
でも指導を受けたその夜の稽古では、自分のダンスにもそれが響いて、少し頭の中も動きも軽くになったように思います。

軽くなったら、自然と音の聴き方も変わりました。
自分が音楽と踊るときに聴くべき層のようなものが掴めた気がしました。
普段聞いているところから一度ピントをはずして、ぼかすようにすると、ふわっとした流れのようなものが聴き取れる感じでした。


そんなこんなで稽古を続けていると、次の課題が表れます。

本番の前々日くらいだったか通し稽古しているときにふと、今の私のダンスや作品に"意外性"が足りないなと思い至りました。
それはそのまま、本番中も考えてました。

良くも悪くも、馬鹿正直にがっちりやりすぎていて、はっとさせるような、惹きつけるようなポイントがないなと思っています。
それはおそらく、地面にクッションを敷いておいた上で繋いでいた手を放して落とす、みたいな感じのもの。
クッション用意してないけど手を放す(どうなるかわかんないけどね!)、みたいな荒業は私にはできません。
今は多分、クッションを用意してないのでとりあえず繋いだ手を離さないように全力で掴んでいる、みたいな感じだと思います。

なんとなく、自分で思っている以上に、全体の印象が重いのだと思います。
よく感想でいただく意見に、「頑張っている気迫が伝わってきました」みたいなものがあって、結構必死でやってるからその感想はうれしく受け取るのですが、なんかもっと軽やかに裏切れないものかね、と今回思いました。
見てくれた友人から、「解放感」がないと指摘されました。なんか、くやしいけど、そうだなと思いました。


そんなことをここ数日考えていたらふと、
解放感のない重さってそのまま私の人となりを表しているじゃないか、と昨日仕事中に気づきました。
そして、そんなようなことを人に言われたり、私自身自覚したような出来事が一気に脳裏を埋め尽くして気持ち悪くなりました。
意外性がないと自分で自分の作品に見出したことも、言ってみれば私の人となりに人を惹きつけるような意外性が足りないんだと気付いたも同然でした。

まったく恐ろしいですね、
なので今、割と落ち込んでます。



話は変わって、

3か月連続公演をしてみた感想は、
やってよかったなぁ、です。非常に大変でしたが。
なにより、同じ場所で出来たのがとてもよかったです。
そして、快く力を貸してくださったキッドアイラックには感謝しきれません。

本番が終わるとまた本番1か月前になっているというループは最初こそ恐怖でしたが、
良いのか悪いのかわかりませんが3回目ともなると終演時の達成感みたいなものがまったくなくなって、純粋に次の課題だけが残るという修行僧のような心持になりました。
でも、次に繋いでゆくためのテンションの作り方は出来た気がします。

残念だったことというかなんというか、本番近くに仕事がないと喜び勇んで稽古場を取っている自分。その分収入はなくなるはずなのに、はたしてオフを喜べばいいのか悲しめばいいのか分からなくなっていました。

まぁここしばらくは働きます。
もう少し生活が軌道に乗ったら、また作品作ります。

それまでに、意外性とかもろもろの課題について、考えてみます。


桜咲く春がやってきて、街も色めき立っていますね。

季節の変わり目ですから、体調にお気を付けくださいとかメールに書いていた私が久しぶりに風邪をひきました。
一昨日から咳が止まりません。
身体は確実に弱っているはずなのに、本番が終わりご飯を食べる理由を完全に見失ってしまって、途方にくれています。


ひとまず、この辺で。

とにもかくにも、お客さんもスタッフもみんな、公演を成立させてくれたすべての方に感謝。
本当に、ありがとうございました。

2014年3月17日月曜日

allele 3回目にむけて、最近のこと

日増しに春が近づいてきていますね。

ベランダに放置していたボケの苗木も、もう枯れてしまったのではないかという心配をよそに新芽と蕾をつけていて、暖房器具の貧しい私の部屋にもいよいよ新しい季節が足を伸ばしています。

allele3回目の本番に向けて稽古をしています。
何を思ったか、かっ飛ばして月に一回公演をしてみましたが、今回で一応一区切りです。
前2回にやったことを含め、3回目は集大成の公演になるようにしたいと思っています、とはいえやはり新作になっているのだけど。

今後も半年から一年に一本は作品作っていきたいなあと思っているところです。

最近のことや稽古で考えていることも含め、少し長くなりそうだけど書き記しておきたいと思います。


今回の公演の大きな目標は、自分の生活を作るところにありました。
単純に言えば仕事と稽古をやりくりすること。

ダンスは、自分の身体を使ってするものです。極論を言えば、生きていけなければ踊れないのです。生きることが、踊ることとってなによりも必要なのです。人生のやりくりも、少なからず自分のダンスを創る要素です。
ピナの言葉を借りるのであれば、「私は私の人生を踊っている」、自分がどう生きるかということも、ダンスにすべて表れると思います。

だからといって別に、センセーショナルでスキャンダラスな、人目を引く生活をしなければならないとは思っていないけれど、自分のやりたいことをするという自分に対する誠実さを通すために頭を捻っているところです。

正直、結構大変です。まぁ楽だったらつまらないので、よいのですが。
現段階ではぎりぎり、足りてない感じですね時間もお金も(!)。やる気だけはあるってことは身に染みて感じます。


それから、作品のこと。

この作品はなによりも、バッハのトッカータという曲がなければ生まれなかった作品です。
トッカータとは、即興曲という意味で名付けられているもので、バッハのみならずたくさんの作曲家がトッカータという形式の作品を残しています。
バッハのトッカータは、通し番号BWV910番から916番まで、7つの小作品があります。

一回目からずっと使っている915番。
この曲との出会いはコンサートホールでの仕事中、ピアノコンチェルトの後のソリストアンコールでとあるピアニストがこの曲を演奏したのを耳にしたのがきっかけでした。
それまでこの曲は知らなかったのですが、曲が始まってすぐに引き込まれえらく感動し、仕事後にすぐ調べた覚えがあります。
美しく折り重なる複雑なメロディは一音一音や和音が美しいというよりも、前の音今の音次の音と連なることでうねるような動きがあって引き込まれます。この曲で、というより、この曲のように踊りたいと心から思いました、制服で仕事中に(こういうことがたまにあるからあの仕事辞められない)。

ピアノという、限られた数の鍵盤から数えきれないほどの曲が生まれることは本当にすごいことだと常々感心します。ピアノに限らず、どんな楽器においてもいえることだと思いますが。
どの音を選ぶか、どのようにメロディを形つくるか、一音一音の選択が無限の可能性を持っていることの偉大さを身に染みて感じます、ダンスもまた同じだと思うからです。

さらに言えば、私はソロで踊るときは一つの楽器で演奏される曲が好きなのですが、その理由として楽器が自分の身体でありダンスが音楽であるという聴き方が一番心地よいということがあります。この聴き方がベストかどうかはまだわかりませんが、現段階ではそういう感触があります。
演奏者に思いを寄せ音楽に自分の身体を添わせて動けるときはぞくぞくして、鳥肌が止まりません。まさに自分がこの音楽と踊っていることの実感を得られる気がします。


それから、テーマのこと。

ダンスを作品として形にまとめるとき、内容やテーマといった「伝えたいこと」の存在がいつも頭を過ります。過りますし、作品としてそういうものが必要であることは十分に承知しています。
しかしながら、いまだテーマというものを当たり前に設定することに踏み出せない自分がいます。きっとこの先もずっと悩むポイントだと思います。

これまであまり疑うこともなくテーマから作品を作るということをさんざんしてきて、うまく出来ていた気がしないし違和感がぬぐえなかったのが原因です。テーマとして設定する言葉とダンスの間にどうしても乖離がある、それは私が言葉によるイメージを十分に省察していないことによるのかもしれません。もしくはダンスの方に余分なものがくっついているのか。

しかしここ最近私のダンスで面白いのは、踊る私の考えていることがそのままお客さんに伝わっているということです。
こちらは45分くらい自分の集中力を切らさないということを一番の目標に掲げているのですが、非常にクリアに私の精神状態がそのままお客さんに伝わっているようです。
「頑張ってるね」ってよく言われます。まさに頑張ってるので間違いではないです。


そんな中ぼんやりと、今回のalleleという作品のテーマは何かと言われて浮かぶのは「私は踊りたい、踊るためにどうしたらいいか」というなんというかテーマなのかよく分からないようなことです。
伝えたいことは、「私踊ってるよ!」ということです。

そのためにも、数ある可能性の中から1つを「選ぶ」ということが重要です。
限られた数の鍵盤から1つの音を選ぶように、一つの選択が先の選択肢を生み、枝分かれしていく様子。
alleleという言葉は生物学の用語で、意味は「対立性遺伝子」です。

あまり大仰なテーマを設定せず、今かすかに思うことを少しだけ。
タイトルのalleleって、アレルって呼んでます(ほかにアレレとかアリールとか読むらしい)。かわいいでしょ、名前みたいなものよ。


昨日とあるパーチーで、ダンスの評論家に言葉を扱うことの重要さをとくと語られました。
そのせいなのか、久しぶりに長く文章を書いてみようと思いつきましたが、長くなる一方なのでこの辺で。
自分のダンスについて話せと言われれば正直一晩明かすくらい言いたいことはいろいろあります。

今日稽古しながら思ったことは、話すように踊りたい、ということでした。
弾む会話のように、連なってあふれるイメージのように、言葉にして表すこともしないことも、そこに隠れる思いやりや感情も、なにより、独り言ではなく自分が話す人でもあり聞く人でもあるということ、相手がいるということ、すべてひっくるめて。


おっといけない、宣伝するのを忘れるところだった。
allele、ラスト3回目の公演は
3/26(水)20:00開演(19:40開場予定)
@明大前 KID AILACK ART HALL
前売・当日共に1500円、2回目3回目の方は1200円。
予約はmaakiitoo@gmail.com

どうぞよろしくお願いいたします。


南向きの窓から差し込む春の日差しに騙されて、薄着で外出してしまいがち。
体調など崩さぬよう、お気をつけて。