2012年8月3日金曜日

ことば

今日も稽古した後、パソコンで文章をぽちぽちぽち。

一丁前に頭の横側が痛くなるのよ、ここ最近。
普段使わない脳が何やらすごく嫌がっている。
書いては消し、書いては消し、
しかし消して書いたって堂々巡りしてるだけで、まったく進化してないんだけどね。
腹が立つわっ

ここに書くもの位が、一番身の丈に合っている言葉たちなのです。
ここが、一番穏やかな気持ちで言葉を選んで書ける。
しかしこれは非常にまずい。
感情に即効性のある言葉がすぐに世界に反映される。
ぶつ切りの文章もタイムラインがその時間を繋いでくれる。
ネットって便利だけど馬鹿になる。


踊る人間だからって、言葉が使えなくてもいいなんて思えないから。
その昔、「全ては踊ればいいんだ、ダンサーは喋んなくていいんだーい」と言った浅はかな私を、真面目な顔で叱った人がいました。
その人はきっと、もうそのことを憶えていないでしょう、でも私の中でそのことはとても重要なことだった。

しかしパフォーマンスの後の、作品について話すアフタートークはあまり好きじゃない。
パフォーマーが観客に遜る必要も、観客にとっての道化になる必要もないのに、観客の批評精神を変に煽ってしまう可能性があるから。かと言ってパフォーマーの方が偉いわけでもないが。
まぁ、一概に全てのアフタートークが悪いとも言えないけどね、ただ、作品に関わった人はみんな、作品という時間を対等に共有しただけなの。それだけ。



言葉を使うのは本当に難しくて、適切な言葉なんて全然分からないのだけど、
それでも、諦めてはいけないと思う。
それは、取り返しのつかない間違った言葉の使い方をしないようにするため。
間違った言葉とは、思ってもいない適当な考えを都合良く表す言葉のこと。
その言葉がどれだけ素敵な言葉であったとしても、選び方に使い方に人と成りが出るよ。
言葉と言葉の間、文字と文字の間にある目には見えないものは伝わっちゃうんだと思うし、少なくとも私は文章を読む時や人と喋る時はいつもそれを感じる。

言葉は今はどこにでも溢れていて、人と何かを共有するのにとても便利で、時に人を騙す。

踊る人も言葉を使える必要があると今は思う、本当に。
というより踊る人である以前に、ただの人として言葉をちゃんと使えないといけないと思う。



さあ、こんなこと書いてるなら論文書け。
とりあえず今日のお勤めの写経でもしようかな。

0 件のコメント:

コメントを投稿