2012年9月9日日曜日

身体とイメージ ー具体派について

国立新美術館で、「具体」展を見てきました。

具体派というのは前衛画家・吉原治良を中心として1954〜1971年に主に関西で活動した、日本の前衛芸術を切り拓いたグループを指し、当時海外でもその活動が注目されていました。具体派は絵画のみならず舞台作品を発表したり、アクションペインティングや野外でのパフォーマンスアートなども数多く発表しました。海外のパフォーマンスアート関連の資料を漁っていると日本の「GUTAI」というグループの存在は自ずと目に付くようになります。
そんなこんなで最近になって具体派の存在を知った訳ですが、せっかく東京で回顧展があるのだから会期がおわってしまう前にどうしても、と駆け足ではありますが、さっと観てきました。

展示は、具体派の活動の中心となった具体美術協会が発足した1954年から、大阪万博を機に1971年に協会が解散するまでの短い期間を5,6つの年代やテーマに分けて紹介していました。年代ごとにそれぞれ特徴があって興味深かったのですが、具体派の特徴が最も強く現れているように感じたのは、フランス人評論家ミシェル・タピエが具体派に関わり始めた直後の作品群でした。
タピエはアンフォルメルを提唱した評論家であり、日本でアンフォルメルを実践している具体派に興味を持ちその作品を海外に紹介すると共に、その作品を海外に輸出しやすいようにと具体派に絵画作品を多く作るように持ちかけた人物です。

そのようなことが簡単に紹介された後、タピエの勧めによって制作されたと思われる絵画作品が多く展示されていました。それまで自由奔放に様々な方法で作品を制作してきた彼らが、迫られてキャンバスに向き合った作品はどれもとても歪で面白いのです。それらの作品の多くのタイトルが「絵画」というのがまた微笑ましく思います。
ここで改めて示された、具体派の絵画作品の大きな特徴は、"重さの痕跡"であると感じました。重さ、とは、身体の重さや身体の運動の重さ、また絵の具や画材として用いられた様々なモノそれ自体の重さ、あらゆるものの重さが画面にそのまま、その重さの痕跡を残しているのです。その重さを目の前にすると、すごくどきどきします。なぜなら、身体の動いた軌跡、痕跡としての絵画は、間違いなく、"身体がなければ描かれなかったもの"と、それと同時に"重さの生きた時間"を浮かび上がらせるからです。

絵画、というものは、ひとつの「イメージ」の結果としてそこに現れます。
具体派においては、絵画作品が中心でありながら、平面には決して留まらない、身体の在り方とイメージの関係について、斬新な提案がいくつもなされています。
具体派を始め、アンフォルメルが提唱された時代における身体性を深く洞察したヴィジュアルアート(特にアクションペインティングやパフォーマンスアート)はその後のダンス作品に大きな影響を与えました。
しかし、身体とイメージの関係については、ある時代を反映する特徴的な問題という訳では決してありません。その問題は、今日においても考えられるべき問題です。


イメージ、というものを語るために、もっと知らなければならないことがあるのはわかっています。
しかし私自身動きながら考え、あやふやなイメージというもののなかに、大きく二つの捉え方があるように感じています。それは、全てを二種に振り分けようとするのではなく、沢山のイメージというものの捉え方の中から、ある二つの捉え方の違いについて考えてみようということです。
それは、身体を動かすときに用いる二つのイメージの違いについてです。

(つづく)

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