2012年9月17日月曜日

歴史を考えるとき、

舞踊の歴史を知りたいと思うのは、私の中にある踊ることの歴史を知ることと同じなのです。
かつて、「私は私の人生を踊っている」と言った人がいたまさにその通り、やはり私は私の中にある歴史を踊っています。
歴史を知りたいと思うこと、それは、私が生まれたときにどういう風であったか、その日の天気はどういう風であったか、初めて寝返りを打った日のこと、初めて立つことが出来た日のこと、幼稚園に初めて行った日のこと、小学校の入学式のこと、そのような私の中にあるはずの私の歴史を私が周囲の大人に伝聞するのと同じように、私が私の踊ることについて知りたいと思う時、私の中に深く潜る時、歴史はひとつの道標になるのです。
私自身の歴史は他人の身体において起こったことの歴史ではなく、紛れもなく私の身体において起こったことの歴史です。しかし、私は他人の影響を受けています。それは避けられないものでもあり、私が選択して取り入れた他人の歴史でもあります。私が今踊るということのすべては、私が経験してきたものに左右されているということで間違いはありません。私が今までダンスを習ってきた先生、先輩、友人、もはやそれは踊ることに限ったことではなく知識や思想、精神、肯定するものも否定するものも、そのすべての影響によって、今の私のダンスがあるのです。


私は私の身体で踊る。
私は、私の身体の歴史を繰り返し踊る。

けれどもダンスは、私のダンスは、私のものであると同時にそれを見た他人のものでもある。

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